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日米の水泳レッスンから読み取る教育文化比較

日本の大会にて

日本の小学生の競泳レベルは、世界一らしい。*

東京都の大会に出てみて、それを実感した。8歳以下の小さな子供が100メートルの個人メドレーや、200メートルの自由形、50メートルのバタフライを、大人のような美しいフォームで優雅に泳いでいる。しかも、それが、一人、二人ではなく、いっぱいいる。次から次に、完璧なストロークでスイスイ泳ぐ小さな身体がプールに登場する。思わず「すごい!」と声をあげて驚いてしまった。

我が家には12歳男子と、10歳女子がいる。二人ともアメリカ・シアトルの弱小スイムチームで泳いでいた**が、2015年暮れに日本に越して来た。そこで、自分たちに合うスイミングクラブを探すのに一苦労した。というのは、いくつかクラブを見学して、子供たちが怖気づいてしまったのだ。娘の以下の言葉が、その時の二人の印象をうまく表現している:

“It looks like they are training dolphins or something!” (まるでいるかを調教してるみたい!)

これには笑った。しかし、よく考えると、子供の目には、子供たちがやりたくてやっているのではなくて、「やらされている」ように見えているのだ、ということに気づいた。

同じ水着とキャップを被った子供たちがプールサイドに整列している。お行儀よくコーチの話を聞いた後、プールに入り、一人ずつ泳ぎ出す。コーチはプールサイドから大声で掛け声をかける。(これが怒鳴り声に聞こえたらしい)。子供たちは必死で泳ぐと、反対側からプールを出て、またきちんと整列する。私語は許可されていないようだ。

これはあくまで、ある一つのクラブの例だが、日本人にはわりと当たり前なこの光景を見て、我が子たちは「こんなのやだ」と言う。まず、なぜ同じ水着を着なくてはならないのか。息子に関しては練習なのにキャップを被りたくない、と。またどうして整列しなくてはいけないのか。コーチたちがなんであんなに怖いのか。全然楽しそうじゃない、と言うのだ。

私も、クラブの規定の話を聞くと、正直、いやになってしまうことが多かった。テストが毎月末あって、そこで合格しないと上のクラスに上がれない。今月合格しないと、来月のテストまで待たないといけない。練習に来る日をあらかじめ決めなくてはいけない。など、ルールが多く、自由がない。

もちろん、日本式には良い点もいっぱいある。日本的な礼儀の勉強になる。ルールを守ることを覚える。こわいコーチの指導に耐えて、自分を強くすることができる。一緒に厳しい練習に耐えた仲間と、深い友情を結ぶことができる(これは小学生には大げさかもしれないが)。そう考えると、ここで子供たちを日本式に「リセット」させることも大切ではないかと思えた。(我が子たちは半分日本人である)

しかし、最終的にはたかが課外活動の水泳である。何もオリンピックを目指しているわけではない。主に体力づくりのために始めさせたスポーツである。楽しく、長く、続けて欲しい。なのに、「楽しくなさそう」という環境に放り込む必要はあるだろうか?水泳が嫌いになってやめることになりはしないだろうか。

アメリカの練習の様子


結局、インターナショナルなチームを見つけて、そこがアメリカで泳いでいたチームと一番雰囲気が近かったため、参加することに決めた。(家から遠いのが玉に瑕。)コーチは日本人だが、スイマーは、インターナショナルスクールに通う子が中心というチーム。当初は日本式に厳しくやっていたが、そのうちにインターの子たちはついてこなくなった、ということで、その後コーチがずいぶん教え方を「欧米化」した、と聞く。つまり、練習は強制しない、参加できる日に自由に参加する、水着もキャップも規定はない(キャップはプール側が必要とすれば必要)、選手コースはコーチ選抜だが、決まった時期に行うテストなどはない、というものである。我が子たちは「ここならやる」と即決した。

このチームに入った後に聞いた話がまたすごい。他のチームから転向して来た子供がいるのだが、この子が、今のコーチが手を挙げて「ハイファイブ」しようとすると、反射的によける、というのだ。これはどうやら、前のチームではコーチに殴られるのが当たり前だったから、身体が反応してしまうのだそうだ。私はまた、「えー!」っと声をあげて驚いてしまった。この子の母によると、前のクラブは、「どんな理由であれ練習を休むということはありえない」、「バケーションも行かれない」、「熱があっても泳ぐ」、「遅いとコーチがビート板で頭を叩く」という様子だったそうだ。小さい時からこのように厳しく訓練されているから、日本の小学生は速いのだろうか、と納得してしまった。しかし、これでは、本当に「やりたくてやっている」のか、「やらされている」のか。考えてしまう。

おもしろい話がある。この年末、夫の家族のいるアメリカ・サンタバーバラで、地元のスイムチームの練習に、飛び入りで参加させてもらった。三日間、椰子の樹の茂る海辺の屋外プールでトレーニングし、その素晴らしい環境に感動したのだが、そこで泳ぐ子供たちが被っているキャップに、「東京 2020」と書いてあることに気づいた。9歳から15歳の子供たち。選手コースの子も、その下の中級クラスの子も、みんな被って泳いでいた。速い子も、そしてそんなに速くない子だって、みんな2020年の東京を目指す、という意気込みで泳いでいるように見えた。色んな水着を着て、音楽を流しながら、東京2020のキャップを被ってもくもくと泳いでいる。コーチに聞くと、選手コースでも、「毎日くる子もいるけど、他のスポーツで忙しい子は毎日は来ない」と。このあっけらかんとした明るさは、日本にはない。

サンタバーバラでの練習風景


日米どちらの教え方でも、結局、その中から秀でて世界のトップレベルに到達する選手はほんの一握り。ただ、そのような一握りの選手を輩出するための「層」を厚くするには、厳しく押さえつけて絞り出すやり方か、楽しくオープンに自主性を大切にするやり方か、どちらがより効果的なのだろうか。

さて、楽しくオープンな方のチームを選んだ我が子たちだが、娘は最近になって「毎日泳ぎたい」「練習を休みたくない」と言うようになった。体調を崩して学校を休んだ日でも「水泳は行ける」と。兄はその他の課外活動が忙しく、毎日行くことはできないが、行かれる時には行っている。親としては、今回の選択は正しかったか、と密に喜びたいところだが、片道一時間かかるプールに、嬉しい(?)悲鳴をあげながら、ほぼ毎日通っている。

* 思えば、不思議なことではないかもしれない。大都会、東京の公立小学校のプール設置率は99%。狭い都会の公立小学校にほぼ必ずプールがあるというのは、それだけで驚異的なことだ。アメリカの公立小学校は、郊外に出れば出るほど校庭が広く豊かになるが、プールがあるというのは聞いたことがない。

** スイミングは、8歳と6歳の時にアメリカのシアトルで始めた。

著者プロフィール

帖佐安子
翻訳業
6歳にアメリカに渡ってから、日本とアメリカ間で移住すること多数回。
最近では2015年末までアメリカ・シアトル在住。
夫、12歳男子、10歳女子、3歳の大型犬と暮らす。
現在東京在住。