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行事から考える日本の教育:運動会編

秋になると、運動会の季節の訪れを感じ、おなじみの駆けっこの音楽を耳にすると、クラシック音楽なのに、脳裏に浮かんでくるのは運動会のかけっこのシーンだったりします。

さて、親世代にとっては日本の小学校のハイライトの一つでもある運動会ですが、実は、運動会に学校ぐるみの年間行事として熱く取り組んでいるのは日本の学校教育の一つの特徴的な部分だとご存知でしたか?

我が子が通うインターナショナルスクールでは、スポーツ毎に他の学校との大会があったりしますが、年間行事としての運動会は存在しません。

子供達全員が参加する行事は、学期末のコンサートと、2年に一度行うお芝居、サイエンスフェア(子供各自の科学探求の発表の場)、そして子供たちのためのお祭りくらいです。どうやら海外でも、運動会という学校全体でチーム対抗で運動を楽しむ行事というのは行われていないようです。

心身共に健やかに子供たちが成長することを望むのはどの国の親や先生も同じだともいますが、学校全体で運動を楽しむ日というイベントは何故日本固有なのでしょうか?

日本の学校からインターナショナルスクールに転校した我が家の子供達の経験から私なりに考えてみたところ、日本の運動会文化に3つ社会や文化的特徴が見えてきました。

1)高い平均値を目指す戦後の文化

我が子が以前通っていた日本の小学校では、体育と水泳を合わせると週3回運動に絡む授業がありましたが、今通っているインター系の学校では週1回です。でもお昼休みには、希望する子供達は、ほぼ毎日公園で走り回ったり、木登りしたりしています。身体を動かして健康を保つという事に関しての配慮はあるものの、競技性のあるスポーツとして楽しみたい子供達は、放課後のクラブや学外で自由に選択してほしいという感じです。

転校を通じて、以前の学校では、全般的に子供達の運動スキルが非常に高いという事に気づきました。水泳も、マット運動も、縄跳びも、平均的なレベルがとても高く、5年生では遠泳行事も予定されているので、とにかく水泳ができるようにならないといけないというプレッシャーは非常に高かったと思います。今の学校では後ろでんぐり返しが上手くできないお子さんもいると娘が驚いていますが、マット運動を幼稚園から親しんでいないと、自然に身につくものではないのがよくわかります。娘は水は大好きなのですが、学校での非常にコンペティティブな水泳の授業や、縄跳びの様々な技能を試すチャレンジは、あまり楽しめなかったようです。(もちろん大好きで頑張ってる子もたくさんいたと思いますが)

好きな子が、自らの選択で深掘りしていく事が好まれる今の学校と、とにかくまず高い平均値を目指してから、好きな事をやればいいという以前の学校では、同じ体育でも随分と違う子供達への印象や経験になっているようです。また、水泳や縄跳びといった種目は、地道に練習を積み上げないと、なかなか上手になりません。欧米的な視点だと、学校の体育は健康のためという側面が強い一方、日本では「協調性を持ってみんなで、コツコツ頑張る。」といった日本的な精神を伝えたい部分が、身体能力の向上と同じくらい、もしくはそれ以上に強調されているのかなという感じがします。

ただ、高い平均点にはもちろん犠牲もつきものです。マット運動も、縄跳びも、スポーツの基礎的な部分をカバーしているのでできた事に越したことは無いのでしょうが、あまり出来ないことに躍起になりすぎて、子供の自信ややる気を失わせないようにはしたいものですね。日本型も、インター型も一長一短ありますが、日本は高い平均値を求めていると考えると、お子様が運動があまり得意でなくても寛容になれるのでは無いでしょうか?

全ての分野に高い平均値が期待されると、当然苦手の分野も頑張らなくてはいけないので、子供には精神的負担が大きいということは忘れないでおきたいものです。

親としてはしっかり子供を観察して、他の子と比べるのではなく、その子その子がゆっくりでも成長していることを大切にして、比較の中で無理をさせず、本人が楽しみながら取り組める、頑張れることを重視したいものです。

2)集団の価値観が個人の思いを凌駕する文化

騎馬戦や組み体操といった種目も日本の運動会の伝統種目だと思いますが、高学年になると取り組むことの多いこのような競技は、まさに集団の目標に向かって、多少の個の犠牲があっても頑張るという日本の集団性を体感値として伝えていると感じます。我が子の学校ではありませんでしたが、国内で多くの組体操の事故の報告があっても無くなる様子はなく、逆に親御さんたちも良かれと思っている風潮を感じます。

英語で「リスクリワード(リスクに対しての報酬のバランス)」という言葉があり、組み体操のような、身体の危険が伴いやすい競技については慎重にどこまでやるかを考えなくてはいけないと思いますが、事故の起きている学校の話などをみると、「XX段に挑戦して記録を達成することが最も大切なゴール」といった集団の目標が絶対値となり、子供達がリスクリワード的に分が悪いと思っても従わなくてはいけないという、日本の企業での問題が発生するときと同じ課題があるように思えます。

体育という全員が同じことをすることを求められる科目でも、子供達が疑問に思った時には自由に異議を唱えて先生と対話ができるといった環境が作れると素敵ですよね。

3)協力し合うことを評価する文化

かけっこといった個人戦もありますが、運動会の醍醐味はやはり、赤組VS白組の戦い。前の学校は4クラス対抗で、クラスごとの縦割りでのランク付けでしたが、いずれにしても、クラスや赤白という単位で、集団の勝利のために、子供達が協力し合う事を促しています。

海外の企業と比べると、日本はチームワークが優れているというのは、この様な小さな頃の集団体験の積み重ねなのかなと感じさせられますイベントが、綱引きや大玉ころがしのような競技なのかなと感じます。

インターナショナルスクールに幼稚園から通う日本人のお子さんがとても日本人的でなく育つのを見てきましたが、逆に日本の学校というのは、「日本人たるもの」はどうあるべきかを、授業だけではなく運動会の様な行事の積み重ねで身体から教えているのだと、運動会を通じて改めて感じます。

教育を考える時には常に自らの体験というフィルターを通しがちなので、自分が楽しい思い出がある運動会は当然子供達にも体験してほしいと思う方が殆どだと思いますし、世代を超えて共有できる話題としても、何十年も変わらない年間行事の存在というのは貴重ですね。

とはいえ、国も主体的に学びに取り組める子供達を育てたいと標榜していますし、マクロ的にも劇的に環境が変化している時代です。日本の特徴的な行事である運動会も、毎年恒例種目だけでなく、子供たちがより中心になって企画や運営に関われるようになど、一方通行に終わらない行事に進化していくと、アクティブラーニングの良い機会に転換できそうですね。

おまけですが、現在の日本の学習指導要領では、小学校の体育の目標は以下だそうです。

「心と体を一体としてとらえ,適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り,楽しく明るい生活を営む態度を育てる。」

目標には集団行動的なことは書かれていないですが、落とし込みとして団体競技が多いというのがまた日本らしさを感じますね。

参考記事:
運動会のある国は日本だけ?海外でもあるの?万国旗はなぜ飾る?