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家庭にリベラルアーツのエッセンスを Day5 ~ 好奇心を育てるには

「家庭にリベラルアーツのエッセンスを」連載 Day5の今回は、能動的な学びを駆動するのに重要な「好奇心」について、シンプルな提案と共に整理したいと思います。


第2章「学ぶ(動詞)を広げてみよう」

前回までの記事は、こちらからご覧ください。


好奇心を育てるには


我が家には5歳の年齢差がある姉妹がいます。

長女が未就学児、次女が乳児の頃、姉の積み上げた積み木を、姉の見ていぬ隙に思いっきり倒し、全速力でハイハイしその場から逃走した躍動感ある次女の写真があります。

次女の中で、

・積み上げた積み木を倒したらどうなるのだろう?

・姉はどんな反応をするのだろう?

という、モノやコトへの物理学的な興味と、人の心の変化への興味からくる好奇心が発動しての行動と、

過去の経験から

「思いっきり全速力で逃げた方がよい」

と学習した結果が、一連の行動を生み出したのだと思われます。


そしてその行動が新たに生み出したのは、全速力ハイハイで逃げるいたずらっ子な表情の次女を見て笑い転げ愛でる家族の姿。

きっと次女はその時、「私のいたずらは家族を喜ばせる」と学習したのでしょう。

16歳になった今でも、彼女は家族の笑顔を引き出すためにいたずらをしたり、積極的にコメディアンとして振る舞ってくれます。


と同時に、一歳にも満たないうちから、積み木を倒しものが落下するというような、日常に溢れる物理的な法則に興味をもち、実験をし続け学習を繰り返していました。

その結果、今でも日常の中で法則性を発見したり、鵜呑みにばかりせず「なぜだろう?」と考え、数学と物理が「好き」だと言います。


その子によっては、読み聞かせる絵本に目を輝かせ、何度も繰り返し読んでほしいとせがむでしょう。


音楽に合わせ気持ちよくからだを揺らす子もいるでしょう。


乳幼児の起きている時間は、実験と学習の繰り返しのように見えます。(眠っている時間は、きっとエネルギー回復と情報整理の時間ですね。)


これを駆動しているのは「好奇心」だと言われています。


もしこのような行為を、保護者やそばにいる大人が「実験と学習」ではなく「困った行動」だという視点で見た時、どのような関わり方をするでしょうか。

食事の途中でスプーンを床に落としてみる、ティッシュを何枚も出してみる、あれもこれも触ってみる。

躾のつもりや良かれと思って「やってはいけません」と行動を制限するかもしれません。

書籍「子どもは40000回質問する」によると、好奇心は以下の三種類に分類できるようです。



1.拡散的好奇心:知りたいという心のうずき

2:知的好奇心:知識と理解を求める意欲

3:共感的好奇心:他人の考えや感情を知りたい



また同書では、

好奇心に関する学術研究において、人間の好奇心は個性ではなく状態であり、環境によって大きく左右されるものだという点においてはほとんど異論がない。

・本物の好奇心を育むには労力が必要なことが忘れられている。

好奇心を追求するのは学校や職場で成績を上げるためではない。一見役に立ちそうにない事柄も含め、学ぶことの本当の美しさとは、自分だけの世界から抜け出し、自分が壮大な営みのなかで生きているのだとあらためて思い起こすことにある。





とあります。

好奇心についてより詳しく、そしてさらに高次の好奇心に引き上げていくために必要な環境についてより具体的に知りたい方は、ぜひ同書をお手にとってみてください。


さて、好奇心とは言い換えると「何かを知りたい」という「認知欲求」です。

その対象は「情報」「知識」「経験」「自分」「他者」「関係性」「構造」など多岐に渡りますが、上記「情報」以外の対象に関しては、放っておいては育たないものです。

また「情報」はその範囲が「広く浅い」ものですが、それ以外の対象に関しては「深く掘り下げ」「繋げて理解を育てていく」ことができるものです。

例えば「情報」とは、日々スマートフォンをオンにすると流れてくるニュースやエンターテイメント、ゴシップなどをイメージしていただくとわかりやすいかもしれません。時には、知的な動画教材も、受け身で視聴しているだけの状態であれば「情報」の範疇に入るかもしれません。

これらを知りたいと思う欲求は、乳児が世界に出会い成長していくために備わっている「拡散的好奇心」から生まれるものだそうです。

要するに、原始的な認知欲求であると言えそうです。

私たち人類は、この原始的な認知欲求である拡散的好奇心によって海や大陸を越えて拡がりました。

そして、定住した地で必要な言語や道具を生み出し、「知」を「学習」によって伝達し文化を育て続けてきたからこそ、弱い種でありながらこれほど数を増やし、発展してきたと言われています。

このように、多くを発見し、その知を吸収し、人々と協力して安心安全な社会を築き、新たな価値を生み出し未来を創造していくためには、個人の中に相当大きな内発的動機が必要になります。

その内発的動機を生み出し、人に力を与え行動させる欲求は、「知的好奇心」と「共感的好奇心」から湧き上がるものです。

そして欲求から成るものだからこそ、喜びと共に発動するポジティブな状態であるため、「もっと学びたい」「もっと深く知りたい」「理解を深めたい」という意欲になります。

「子どもは40000回質問する」を参考に、筆者制作


この二つの好奇心(図参照:第3段階)を育てるには、書籍内にもあるように「労力」が必要となります。

では具体的に、どうすればパワフルな知的好奇心や共感的好奇心を育てることができるのでしょうか。






ここではシンプルに二つだけお伝えします。

知的好奇心に関しては

乳幼児期のその子の行動を「実験と行動」だと理解し、必要以上に邪魔をしない。

(危険なこと、家庭内ルールとしてNGなもの”例:壁に絵を描く”はきちんと教える)

共感的好奇心に関しては、

言葉を話せない頃から、目を合わせ優しい言葉をかけ、さまざまなものの名前や人の感情などを言葉にして聞かせる。

上記はなかなか手のかかることではありますが、長い目で見た時に得るものの大きさから優先順位を考えると、目の前の効率よりも、その子の好奇心が存分に育つ関わりを優先させる方が結果として有益だと発想を切り替えることで、納得してゆったり関われるようになるものです。お試しください。


乳幼児期の関わり方について主に書きましたが、法人メンバーから

我が子はもう小学生ですがどうしたらいいでしょう?」という質問を受けましたので、こちらもシンプルにお答えしてみますね。

大人が知的好奇心、共感的好奇心を自分の中で育てる努力をしましょう。

一石二鳥なのは、子どもと一緒にワクワクする経験の機会をつくることです。

そしてその経験をもとに、我が子と「対等に」「興味を持って」「正解を手放して」対話をしてみましょう。時には一緒に調べたり、関連する書籍を読んだりしてみるのも素敵ですよね。

それを繰り返すことで、自然とお互いの中に「良質な問い」が浮かんできます。

ここまできたら、問いをもとに答えをすぐに求めずに対話を楽しんでください。

気づけばお互いに、「知的好奇心」「共感的好奇心」が育っているはずです。



次回は、

2)日常は学びのワンダーランド

3)家庭でできる具体例

について書きたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

本連載一覧はこちらから


コントリビューター

井上 真祈子 | Makiko Inoue

一般社団法人ダイアローグ・ラーニング代表理事

薬学部卒。高校1年生と大学2年生の姉妹の母。プライベートでは、子どもの発達段階を考慮し国内外を移住しながらの子育てを実践。東日本大震災を機に家庭教育支援をはじめる。子ども時代からのリベラルアーツ「Co-musubi」と偶発性ある読書会「セレンディピティ・ブックス・ダイアローグ」が主な事業。多様な子どもへの理解を深める啓発活動や、さまざまな業界のパラダイムシフト支援もライフワークとし、2019年経産省や2020年文科省のギフテッド教育研修コーディネーター、2019年、2020年Learn by Creationワークショップチームリード、2021年~日本型リベラルアーツ推進委員、企業による学校授業制作カウンセリング、2022年〜女性医療人のリーダーシップラーニングコミュニティ創設など、多岐にわたり活動している。